俺は死ぬより酷い生活をしているのか?

 タイトルは釣りです。


 → たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない


 この手の話は俺も何度か書きちらしてきたけれど、ことある毎に話題になるね。生命科学の研究者をしていく身としてはいろいろと思うことがある。


 上の記事の大学院はあまりに酷いので論外なのだけど、一般的な研究者が割の合わない職業かどうかと言えば、確かにそうかもしれない。

 普通の仕事の場合、人と同じことをやっても、役に立つことなら評価されるけど、研究者の場合は、人と違うことをして、かつ役に立たなければならない。


 研究において人と違うことをするためには、過去になされた業績を記した文献を数えきれないほど読み、その中から誰もがやっていないことを見いだし、検証するという作業が必須になってくる。独創性というのは、単に奇抜なことをすればいいというのではなく、過去にある全ての出来事を把握した上でその一歩先を行なって、初めて出てくるものだからね。

 俺も、今日新たに違う遺伝子の解析を始めることになったので、その遺伝子に関連する論文を1日で12-13報ほどざっと読み、そこに書いてある全てのデータと自分の実験結果から、モデルを立て、それを検証する実験系を頭の中で構築するということをやったけど、普通に考えればしんどい作業だと思う。

 それに、このように構築した実験系がうまくいくのは、10に1つもあればいい方だ。


 俺は一般的な仕事に比べれば、しんどい生活をしているかもしれない。端から見れば、過酷とも言える研究生活が果たして正しいのか、それとも間違っているのか、博士学位をとれることが決まった今でも、その答えを出せない。

 ただ、自分の気持ちを考えると、研究をやっていなかったら心底後悔していると思う。例え、客観的には間違っていたとしても、自分の気持ちには嘘をつきたくない。しかし、これは理想論なのかな。きっとそう言えるのだろうね。一概には言えないし、難しい問題だ。


 ちょっとうだうだと書いてしまったけど、明日か明後日ぐらいに時間が出来たら、自分の大学院生活を振り返って、書ける範囲でじっくりとブログに書いてみたい。大学院が終わるいい時期だし、自身の記念も兼ねてね。

 何かを伝えられるかどうかは分からないけれど、自分の経験をネット上でフィードバックできればいいな。